国指定重要文化財

1.木造薬師如来及び両脇侍像三躯

(国指定重要文化財)

木造薬師如来及び両脇侍像三躯の写真

所在地:大字瓜生野1068番地(王楽寺)
指定:昭和19年9月5日

この仏像を祀る竹篠山王楽寺は、僧最澄が開いたと伝えられ、室町時代から天正・慶長年間には、12支院を擁し最も栄えました。

御本尊の薬師如来は坐像で像高85.5センチ、両脇侍像はどちらも立像で、左脇侍の日光菩薩像は102.4センチ、右脇侍の月光菩薩像は像高101.5センチです。3体共にヒノキの寄木造りで絹張り漆がけの上、金箔塗りで仕上げています。作風は平安時代の彫刻技法を用いたものと推定され、鎌倉時代初期に中央の仏師によって彫られたものと思われます。それらははぼ完全な形で現在まで伝えられており、穏やかで慈愛に満ちた像容を表しています。

これらの仏像は、過去に元禄12年(1699)と昭和27年に、修復・塗替えを行っています。

毎年4月8日の花まつりの時に、一般公開されています。

2.旧黒木家住宅

(国指定重要文化財)

旧黒木家住宅の写真

所在地:神宮2丁目(県総合博物館屋外)
指定:昭和48年2月23日

西諸県郡高原町蒲牟田の霧島東神社に近い祓川地区にあった民家を県総合博物館屋外施設として移築復元したものです。

この民家は分棟式民家の分類に属し、平入りの「オモテ」と妻入りの「ナカエ」の2棟間を「テノマ」と呼ばれる板敷きの間で結んでいます。従って、分離・接合が比較的自由に行われやすい中で、オモテ・ナカエの年代が揃っていることは貴重であり、この型式の民家の好例といえます。また、このテノマが板敷きであることのほか、床高がナカエと同高でオモテより一段低いことなど、古型式をそのまま残しています。

建築時期については、梁架構の方式や、材の仕上げ、経年等から文政~天保頃と推定されていましたが、解体工事の折に発見された墨書によって、天保5年(1834)12月から同7年4月にかけて建築されたこと、郡奉行の御用宿を勤めたことなどが判明しました。

3.旧藤田家住宅

(国指定重要文化財)

旧藤田家住宅の写真

所在地:神宮2丁目(県総合博物館屋外)
指定:昭和48年2月23日

西臼杵郡五ヶ瀬町にあったものを民家園に移築復元したものです。調査時に、「天明七未歳十二月吉日」と書かれた柱が発見されました。

天明7年(1787)に建てられた、南九州に残る最古の民家です。

4.木造騎獅文殊菩薩及脇侍像(五躯)附木造天蓋一面

(国指定重要文化財)

うてんのう 最勝老人 文殊菩薩 ブッタバリ 善財童子

(左から優填王像、最勝老人像、騎獅文殊菩薩像、仏陀波利像、善財童子像)

所在地:佐土原町上田島767番地(大光寺)
指定:昭和19年9月5日

運慶五代の孫康俊の作になる騎獅文殊菩薩は、木造、彩色、玉眼造りです。右手に剣、左手に巻物を持ち、従者として優填王、最勝老人、仏陀婆利尊者、善財堂子を従えており、口を開き、牙をむきだしにした獅子の上に趺座しています。菩薩頭上の天蓋は、木造、漆箔、銅製の飾り金具つきで、円形の中心に蓮の花を置き、これに天女三躯を配し、周囲に八葉の吹き返しをつけています。

5.乾峯士曇墨蹟(六種)

(国指定重要文化財)

けんぽうしどんぼくせき

所在地:佐土原町上田島767番地(大光寺)
指定:昭和40年5月29日

乾峯士曇は鎌倉時代の名僧で当時わが国屈指の書家でもありました。大光寺に士曇の書を多数残すのは、建武二年同寺を開山創建した嶽翁長浦が士曇の高弟だった関係のためです。墨蹟六種は、(一)大光寺開堂祝偈一巻、(ニ)園悟禅師法語二幅、(三)建仁寺常楽庵造塔幹縁疏一巻、(四)南禅寺上堂法語一巻、(五)授嶽翁長甫伝衣偈一幅、(六)書状六通です。

6.巨田神社本殿一棟附棟札22枚

(国指定重要文化財)

こたじんじゃほんでん巨田神社むな札

所在地:佐土原町上田島10732番地1(巨田神社)
指定:昭和53年5月31日

巨田神社の本殿は「三間社流造り」で、室町時代の神社建築様式をそのまま残しています。南九州では数少ない中世建築の建物で宮崎県内では最古のものです。建立や修理の棟札も残っている点でとても貴重な資料で、このうち22枚が国指定文化財になっています。昭和56年の大改修に伴い、最も古い文安5年(1448)の棟札が建立時のものと確認され、文安5年に佐土原(藤原)祐賀によって建立されたことが判りました。

7.木造神王面(宝治二年銘)
       附 木造神王面(天文五年銘)

(国指定重要文化財)

HP用_生目神社 神王面(文化庁マスコミ提供).jpgHP用_木造神王面(天文5年銘)調査時.jpg

所在地:大字生目345番地 (生目神社)
指定:平成30年10月31日

木造神王面は南九州で最も古い宝治2年(1248)の銘をもち、大型の迫力に富んだ造形であることが注目されています。また、制作事情に八幡神との関わりが想定されることから、中世の地域信仰のあり方を示すものとして、我が国の絵画・彫刻史上特に意義のある資料であるとの評価も得ています。なお、附けたりとして天文5年銘の神王面も指定されています。
 

8.木造乾峯士曇坐像(一躯)
   木造岳翁長甫坐像(一躯)

(国指定重要文化財)

HP用_木造乾峯士曇坐像.jpg
HP用_木造岳翁長甫坐像2.jpg
 

所在地:佐土原町上田島767番地 (大光寺)
指定:平成30年10月31日

大光寺は南北朝時代に領主の田島伊東氏が檀那となり、岳翁長甫を開山に迎え創建されました。また、岳翁長甫の師である乾峯士曇が住持を務めた京都東福寺派の寺院として繁栄し、天文11年(1542)には京・鎌倉の五山に次ぐ十刹の位置に列せられました。

この2つの像は、南北朝時代の肖像彫刻のうち制作優秀で、我が国の文化史上貴重なものとされています。また、大光寺を開山した岳翁長甫とその師である乾峯士曇が共に備わり、制作事情がうかがえることも評価されています。

9.宮崎県下北方五号地下式横穴墓出土品

(国指定重要文化財)

HP用下北方地下式横穴出土品.jpg

所在地:大字跡江4200番地3(生目の杜遊古館)
指定:令和2年9月30日

地下式横穴墓とは、古墳時代中期(5世紀前半)から終末期(7世紀)にかけて九州南部に分布する墓制です。地表から深さ2mほどの竪坑(たてこう)を掘り、その底面から横方向に遺体を納める玄室(げんしつ)と、そこにつづく羨道(せんどう)が掘られています。

 下北方5号地下式横穴墓は、昭和50年7月1日に県指定史跡宮崎市下北方9号墳の裾部分を開墾中に発見された最大級の地下式横穴墓です。玄室からは、金製垂飾付耳飾、銀装大刀をはじめ武器、武具、馬具、農工具、青銅鏡、玉類などの多量の副葬品が出土しました。これらは同時期の日本各地にある有力古墳と遜色のないもので、当時の九州南部の古墳文化の特質や日本列島の古墳時代社会のあり方を知るうえで重要な資料です。

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