宮崎市発掘調査速報
宮崎市発掘調査速報~解き明かされる宮崎の昔~
私たちの住む宮崎市には多くの遺跡が存在します。最も古い遺跡は旧石器時代(約26000年前)のもので、宮崎市には大昔から人々が生活していたことがわかります。われわれの生活には道路や建物の建設などの開発が不可欠ですが、遺跡の存在する場所で開発がおこなわれる場合、その結果、遺跡が破壊されてしまうことがあります。遺跡はわれわれの先人の生活を知る上で欠かすことの出来ない貴重な遺産であり、文化財課では開発などによってどうしても破壊されてしまう遺跡について、記録として後世に情報を残していくための発掘調査をおこなっています。
下北方塚原第3遺跡(しもきたかたつかばるだい3いせき)
調査地
宮崎市下北方町塚原
調査期間
平成23年2月9日から平成23年3月24日
遺跡の時代
縄文時代・古墳時代・中世・近世
調査の成果
下北方台地の帝釈寺近くにある遺跡です。調査の結果、近世の掘立柱建物、土坑墓や古墳時代の地下式横穴墓などが確認されました。
特に注目されるのは古墳時代の地下式横穴墓です。地下式横穴墓は古墳時代の宮崎を中心にみられる墓の形で、玄室と呼ばれる遺体を納める部屋が地下に作られるこ とが特徴です。今回見つかった地下式横穴墓は、玄室が縦方向に長い妻入り構造で、その規模が地下式横穴墓の中でも大型のものでした。玄室の中には、川原石を敷き詰めて作られた礫床と呼ばれる遺体を安置する区画が作られていました。そこに鉄で作られた刀が1振、U字形鋤先と呼ばれる農具が1個そえられていました。この墓に埋葬された人物が生前使用していた品物なのでしょうか。この遺跡がある下北方地区には下北方古墳群という古墳群があり、多くの古墳が造られています。この地下式横穴墓に埋葬された人物も、それらの古墳に埋葬された人々と同様にこの周辺の有力者であったと考えられます。
江戸時代の土坑墓も7基確認されました。いずれも方形または長方形の土坑で、その中から銅の銭や陶磁器などが出土しています。掘立柱建物は2棟確認されていて、柱穴から陶磁器などが出土しました。これら以外の時代のものとして、中世の大型土坑や縄文時代早期の土器片、黒曜石などが出土しています。
調査風景。柱穴などが見えます。
地下式横穴墓。左が全体(奥が玄室です)、右は礫床です。
中須遺跡(なかすいせき)
調査地
阿波岐原町中須
調査期間
平成23年4月25日から平成23年7月29日
遺跡の時代
弥生時代
調査の成果
宮崎東小学校の近くにある遺跡で、宮崎市の海岸沿いにある4本の砂丘列のうち最も内陸にある第1砂丘と、その東側にある第2砂丘の間にある低地に位置しています。
弥生時代中~後期の溝の跡や周溝状遺構と呼ばれる遺構、土坑、ピット、杭列などが確認されました。溝の跡は地形に沿って掘られていて、土地の区画を目的とするものと考えられます。この溝の中からは遺物が多く出土しましたが、特に木材が集中して出土した場所があり、周辺の状況などから、ここが木材を貯蔵していた場所であったと考えられ大変注目されます。その他にも、木製の柄に装着されたままの石斧が見つかりました。柄が腐らずに、しかも石斧が装着されたままで出土することは大変珍しく、当時の道具の使用法などを知る上でいろいろな情報を得ることができます。
溝がめぐらされた内側には、ドーナツのように溝が掘られた周溝状遺構と呼ばれるものが11基見つかっています。これは何に使われていた場所なのか、現在のところはっきりとした答えが分かっていません。今回の調査結果をもとに今後考えていく必要があります。この周溝状遺構の中からも土器などの遺物が出土しました。
その他にも、朝鮮半島から輸入されたと考えられている鉄斧とみられる破片や、石を磨いて作られた鏃などが見つかっており、宮崎市の弥生時代を考えるうえで大変重要な成果が得られました。
調査区を空中から撮影した写真です。
木材を貯蔵していたとみられる場所です。
大変珍しい柄付きの石斧です。
溝内側の区画には周溝状遺構が見つかりました。