==========================893text10========================= 大根やぐらの歴史 わにつか たけしさんから一言 やぐらの始まりと この土地で続いている 理由を潜入調査 大根やぐらの始まりは、昭和35年ごろ。鹿児島県の大根やぐらを参考に建てられたといわれています。鹿児島県のたくあん業者が大根栽培の適地として注目し、農家にたくあん用大根の栽培を広め、次第に農家が率先して大根を干し始めて、現在まで続いています。 たくあん工場が建設され 干し大根の一大産地に 昭和41年、道本食品株式会社が干したくあんの製造を始め、昭和48年にはJA宮崎中央(当時、田野町農協)の工場も完成。スーパーの全国展開により市場が拡大し、生産量も増加。平成2年のピーク時はやぐらも800基に。 大根栽培に適している理由 田野町、きよたけ町を中心とする土壌は、黒色火山灰のいわゆる「黒ボク」や「赤ホヤ」といわれる土。保水性や通気性に優れているため、大根栽培に適しています。 干し大根の生産に適している理由 冬になると、地元の人たちが「わにつかおろし」と呼ぶ北西の風が吹きます。地域は海抜110メートルの高台にあり気温が低くなることと、風通しの良さが大根の乾燥に適しています。 キーパーソン探訪 父の代から続けて50年 さらに拡大したい 干し大根農家 あきやま ひろみさん 夏は葉タバコと里芋を栽培し、冬の4カ月で干し大根を作ります。干し大根農家は減っていますが、わが家は父の代から50年続いており、息子2人も後継者として一緒に頑張っています。この先、農地を広げることも考えているので、干し大根の良さがたくさんの人に知られて、さらに盛り上がるといいですね。 わにつか たけしさんから一言 干し大根 一筋50年。 未来にも期待! ==========================893text11========================= 大根やぐらの作り方 わにつか たけしさんから一言 設計図はない !? ではどうやってやぐらを建てるんだ 昭和35年ごろのやぐらは、当初5段から6段と小さいものでしたが、生産量の増加から高さや幅など徐々に大きくなりました。設計図はなく、経験と知識、技術を頼りに組み上げます。 全長約50メートル※最大150メートル やぐらの材料は主に竹と杉 日本最大級 宮崎市では約300基のやぐらが建てられます ※田野町約250基、きよたけ町約50基 やぐらは、高さ6メートル、幅6メートル 一段の高さは、作業しやすい膝の高さで固定。 一つ一つ手作業で、竹をひもで結んでいきます。 5人で作業して完成まで約1週間かかります。 大根収穫から掛け干しまで わにつか たけしさんから一言 おやっ、やぐらの中に 車が入って行ったぞ 私たちも行ってみよう。 収穫した大根は、2本1組に麻縄で縛られ、すぐに専用の機械で水洗いされます。水洗い後は、トラックの荷台に載せて、やぐらの中に車のまま入り、荷台の上からやぐらに向かって大根を渡して干します。 収穫から洗浄、そしてやぐらに搬入 1本の大根が約1キログラム 1組2キログラムを掛け干しします。 やぐらの高い所はさおを使って渡します。