=========================900text0809========================= 特集1 市広報みやざき 900号記念 宮崎の今を語り、未来を思う 広報紙の70年とこれから 副市長と大学生による座談会 市広報みやざきは、1949年 昭和24年 創刊で、この10月号で900号を迎えました。これを記念し、本特集では2人の副市長と4人の大学生が過去の広報紙を振り返りながら、宮崎の今、そしてこれからを語り合いました。 はらだ けんいちろう 副市長 平成5年自治省入省。群馬県、環境庁、千葉県、総務省、三重県菰野町副町長、内閣府のほか、東北大学准教授、北海道大学教授などを歴任。平成29年7月から副市長。 たのうえ あきひこ 副市長 宮崎大学工学部卒業後、昭和54年さどわら町役場に入庁。平成22年に本庁総務部へ、平成25年に総務部長。平成29年に退職後、平成30年7月から副市長。 ありみず ゆうと さん 宮崎公立大学人文学部4年生 たさき まな さん 宮崎公立大学人文学部4年生 はやし かれん さん 宮崎大学教育文化学部4年生 かどまつ みこと さん 宮崎大学教育文化学部4年生 時代を反映し続けた 70年の長い歴史 まずは副市長。創刊号から最新号までの表紙を見た印象はいかがでしょうか。 たのうえ副市長 モノクロからカラーへ。表紙はその時代を反映していますね。懐かしさも感じます。 はらだ副市長 古い時代から写真を多く使っていますね。市民に分かりやすい広報紙作りを工夫してきたのだなと思いました。 皆さんには、事前にご自分が生まれた年の広報紙を読んできていただきました。気になった記事はありましたか。 たさきさん 私は平成7年生まれで、シーガイアのグランドオープンがその前年。オーシャンドームは家族でよく遊びに行っていたので、生まれた頃に出来たのかと思いました。 ありみずさん 私も平成7年生まれで、県総合文化公園や県立美術館などの施設がその頃一気に整備されたことに驚きました。 たのうえ副市長 私は昭和31年生まれ。その頃から台風の話など身近な話題も多く取り上げています。目に留まったのは広告欄で、当時も今と同じ工夫をしていたんですね。 はらだ副市長 私は昭和44年生まれで、注目したのは市の人口が20万人を超えたという記事。わずか2年で1万人増えているんです。それに伴って、小中学校を整備したり、道路を舗装したり、社会資本の整備が急ピッチで進められた時代だったのだなと思いました。 広報紙が呼び覚ます 思い出あれこれ 宮崎市の思い出を聞かせてください。 たのうえ副市長 2020年の東京オリンピックが話題ですが、前回の東京オリンピックは小学校2年生の時でした。平和台公園から聖火リレーが出発するのを見に行き、わくわくしました。それから、神武様のお祭りは毎年同じ日だったので、その日は学校が午後から休みになって、みんなで見に行ったものです。 かどまつさん 私は成人式で実行委員をしました。その時、「にじゅうど」アプリを知り、みんなにも勧めました。市からのお知らせを受信したり、申し込みができる便利なもので、若者に向けて情報発信するアプリを市がやっているのはすごいなと思いました。 はやしさん 青島に留学生を連れて遊びに行くと、みんなとてもきれいと言ってくれます。子どもの頃から見慣れている風景ですが、そう言われるとうれしいです。 はらだ副市長 副市長に就任するまで宮崎県外にいましたので、離れたところから見ていた印象ですが、平成10年に中核市になり、平成18年、平成22年に周りの4町と合併。順調に人口が増えた一方で、シーガイアの破綻、地元産業に大きな打撃を与えた口蹄疫や鳥インフルエンザの発生と暗い話題も相次ぎ、厳しい時代も過ごしてきたなと思います。 たさきさん 平成15年に高千穂通りにあった寿屋がカリーノ宮崎になった記事があり、ランドセルを寿屋で買ってもらってうれしかったことを思い出しました。 ありみずさん 私は大学に入ってから青島太平洋マラソンに2回出場しました。フルマラソンは平成20年から橘通りを走る現在のコースに変更されたそうで、市街地でたくさんの応援を受けて走れるのはとてもよかったです。 温暖で住みやすい 自慢できるまち 現在の宮崎市での暮らしはいかがですか。好きなところも教えてください。 はらだ副市長 これまでに仙台や札幌など北日本にいたことがありますが、冬の降雪など不便もありました。宮崎は年間を通して温暖な気候で、そうした心配がないのがとてもいいですね。 ありみずさん 私は鹿児島市出身ですが桜島の火山灰を意識しなくてもいい宮崎の生活が新鮮です。いつも自転車で移動していますが、坂もあまりなくて走りやすいし、とてもいいところです。 かどまつさん 宮崎は本当に住みやすいので、ずっとここに住みたいと思います。就職も宮崎を希望しています。東京に行った時に満員電車に乗って、こんな生活は無理だと思いました。 たさきさん 私は海外留学を2回経験して、気候や食べ物など、宮崎との違いを強く感じました。宮崎の温暖な気候がとても恵まれていることに気が付きました。出身のさどわらでおすすめは、花のきれいな久峰総合公園です。 はらだ副市長 宮崎は夏だけでなく2月のプロスポーツキャンプなどでも訪れる人が多く、サーフィンはほぼ1年中楽しむことができます。これらは、受け入れる態勢や環境整備をしてきた先人たちの長年の努力のたまものだと思います。恵まれた気候やきれいなまちは、私たちも住みやすいですね。