市広報みやざき 平成27年8月号 862号 全世代をつなぐ情報紙 [特集1] 宮崎ではたらくということ [特集2] 風水害対策していますか? CatchyourDream! みやざき再発見 キラリ!宮崎人 みやざき旬食レシピ 市長コラム『ねこのひげ日記』 自治会マスターへの道 みやざき時間旅行 昭和24年から続く市広報みやざきが電子書籍で閲覧できる「宮崎市アーカイブス」。ここでは、時代を感じさせる過去の面白い記事を発掘します! 昭和53年8月号が電子書籍で読める! ※QRコードの読み取りには、アプリ「QR・JANコード読み取りバーコードリーダー」を推奨しています。 今回の旅行先昭和53年 「大淀川イカダ下り」って?  今月発掘するのは、昭和53年8月号に掲載された「大淀川イカダ下り」です。  30年間市民に愛され続け、アイデアを凝らしたさまざまなイカダが大淀川を下って見物客を沸かせた、「夏の大淀川イカダくだり大会」。企画・運営にボランティアとして取り組まれた、当時の大会会長に、話を聞きました。  この大会は大淀川の大切さを伝えながら、感動や達成感を仲間と味わってもらうため、ボランティア主催でスタートしました。第1回から若者を中心とした450人(104チーム)の参加があり、賞の獲得に向けて、イカダの装飾は年々パワーアップしました。今にも動き出しそうな龍の口から水を噴射するパフォーマンスなどもあり、大いに盛り上がったのを覚えています。今でも当時のイカダを大切に保管されている話を耳にするとうれしくなりますね。これからも当時の感動を忘れずに、大淀川を見守っていきたいです。 大淀川に対する思いを掲げたイカダ 30年間無事故だったことは、今でも私たちの誇りです むろのその かずみさん 地名むかしむかし2015 第3回 「おおつか」 昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。 昭和35年7月号より  宮崎市内の地名には相当古いものが多いが、この大塚(おおつか)もまたその一つである。ここを大塚というのはここには古墳が多いからで「日向地誌」によると明治の初めには、ここに九つの塚がありこのほか大小四十余の塚が散在している、とある。[中略]古い時代には大墓といった。墓も塚も同じものである。記録をたどれば、平安時代に大墓別府というしょうえん があった。[中略]そこで大墓が大塚になったのは、いつかというに、正確な文書がないが天正19年(1591)の日向国五郡分帳には宮崎郡に大塚三十町として村名が出ているから、近世のはじめごろと思えば間違いはあるまい。すなわち豊臣秀吉が天下を統一して村の制度を確立したころに大墓を大塚に改めたのであろう。 戦場坂の戦いで亡くなった人を葬ったといわれる、大塚町天神後の人塚。