市広報みやざき 平成28年2月号 868号 全世代をつなぐ情報紙 [特集1] 今年もキャンプがやってくるヤァヤァヤァ! [特集2] 宮崎市への移住をサポートします [特集3] それは詐欺です!! CatchyourDream! みやざき再発見 キラリ!宮崎人 みやざき旬食レシピ 市長コラム『ねこのひげ日記』 自治会マスターへの道 みやざき時間旅行 昭和24年から続く市広報みやざきが電子書籍で閲覧できる「宮崎市アーカイブス」。ここでは、時代を感じさせる過去の面白い記事を発掘します! 平成14年2月号が電子書籍で読める! ※QRコードの読み取りには、アプリ「QR・JANコード読み取りバーコードリーダー」を推奨しています。 今回の旅行先平成14年 長嶋茂雄氏が名誉市民に!  今回発掘するのは、平成14年2月号の「長嶋茂雄氏を宮崎市名誉市民として顕彰します」です。市では、読売巨人軍の元監督・長嶋茂雄氏(現終身名誉監督)に宮崎市名誉市民の称号を贈ることに決定。同氏の66歳の誕生日だった2月20日にすいたい式を行いました。 キャンプで結ばれた縁 ~長嶋さんと宮崎市~  ここでは、長嶋さんと親交の深い「釜あげうどん重乃井」のいよのぶこさんの話や、写真を交えて振り返ります。  長嶋さんは40年以上前から、宮崎キャンプのたびに店に来てくださっています。選手時代は当時の川上監督らと、監督時代は1人でふらりと来られることもありました。長嶋さんはいつも頬がピンク色で、服装も赤やピンクなど明るい色ばかり。それがまたよくお似合いなのもあって、長嶋さんが入って来られると同時に店がパッと明るくなるんですよ。ファンの方と話をするのがとにかく大好きで、店でもお客様とおしゃべりを楽しまれています。市民の皆さんの中には、長嶋さんとお話された方がたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。  お客様の多くは、長嶋さんとご縁のある方や、長嶋さんが来られていたことで店を知ってくださった方です。宮崎がキャンプ地として有名になったのも、長嶋さんがたくさんの人に宮崎の魅力を伝えてくださったおかげ。本当に感謝しています。 名誉市民推戴式での長嶋さん。「第二のふるさとのような宮崎市。光栄に思います」と述べられました。 長嶋さんが監督だった1993年の宮崎キャンプ時に書かれた、読売巨人軍のサイン。店奥の座敷席に飾られています。 店内にたくさん飾られた写真には、うどんを食べる選手時代の長嶋さんの姿も見られます。いなり寿しも大好きだそうです。  昨年店に来てくださった時も、頬は相変わらずピンク色でお変わりなく、うれしく思いました! 釜あげうどん重乃井 いよのぶこさん(65歳) 地名むかしむかし2015 第9回 「くどみ」 昭和35年4月号から1年間連載されていた「地名むかしむかし」。市内のいろいろな地名の由来を当時の文章のままお届けします。 昭和36年1月号より  くどみというのは宮崎の市街地から青島に行く途中の地名で、もとくどみ本郷といったところであるが、明治二十二年に赤江村ができた時には本郷きたかた、本郷南方の両村に分かれていた。[中略]鎌倉時代の文書である建久八年(一一九七)の記録によると、この地方はくどみ本郷を中心に宮崎、那珂、児湯の三郡にまたがるくどみのしょうという広さ千三百八十二町におよぶ大荘園があったところである。  この荘園はもと鳥羽天皇の皇女八条院璋子内親王の領地であったが、八条女院の死後官地となり、さらに興国二年(一三四一)に京都嵯峨の天竜寺が建立されるにあたり、足利尊氏はこの地を夢窓国師に与え天竜造営の料所となした。[中略]思うにくどみとか岡富、恒富などという地名は古くから各地にあり、この富はずみすなわち住居地の意味だという説もあるから古い地名に佳字をあてたのであろう。 足利尊氏の供養塔