===================924text0405=================== 特集1 昔、日向の国にヒーロー(戦国武将)がいた しまづ とよひさ という男 あの「関ヶ原の戦い」に佐土原城主であった大名が兵をあげ、30歳の若さで討死していた。今年はその「しまづ とよひさ」の生誕450年にして、死後420年の記念すべき年。 昨今、漫画、アニメの主人公にもなり、日本全国でにわかに注目される戦国武将、しまづ とよひさ の短くも果敢に戦った人生を見ていきます。 「関ヶ原の戦い」でのしまづ とよひさ 「戦国合戦図屏風」(岐阜市歴史博物館所蔵)に描かれた豊久。丸に十字の島津家の旗印も見える。 写真提供 岐阜市歴史博物館  豊久終焉の地には諸説あるが、岐阜県大垣市の「烏頭(うとう)坂」付近とするのが通説である。ここには豊久の顕彰碑が立てられ、地元の人が今なおその功績をたたえている。  佐土原城は豊久亡き後、徳川家康に没収され、行き場を失った豊久の家臣たちは島津本家のある鹿児島(日置市吹上町永吉地区)へ。その後、豊久の伯父・義久、いとこの忠恒により佐土原城の返還を家康に要求し、1603(慶長8)年、父・家久のいとこにあたる垂水島津家の以久が佐土原城主となる。 豊久に関する年表 年 出来事 1570 元亀元 父・島津家久が薩摩国の串木野城主となり、豊久が生まれる 1579 天正7 家久が佐土原城主となり、居城を移す 1584 天正12 15歳、「沖田畷(なわて)の戦い」で初陣 1587 天正15 18歳、家久の急死により佐土原城主となる 1592 文禄元 「文禄の役」、伯父・義弘らとともに朝鮮へ出兵 1597 慶長2 「慶長の役」、再び、義弘らとともに朝鮮へ出兵 1599 慶長4 「庄内の乱」に出兵 1600 慶長5 30歳、「関ヶ原の戦い」で討死 ※満年齢で記しています イラスト おまた むぎほ(表紙、P4-5) 1分半でわかる! しまづ とよひさ の一生  人並み外れた勇ましさ、強さ、大胆さを豊臣秀吉も恐れたという島津家久を父に持つ。父を含む、義久、義弘、歳久の「島津四兄弟」は一時、九州全土を席巻するほどの勢力だった。  豊久は父・家久が佐土原城主となったことで串木野(鹿児島県)から日向国へ。15歳で父ら島津家の武将とともに「沖田畷の戦い」(島原の戦い)で初陣を果たし、10倍以上の数の敵を壊滅させる父の戦略を目の当たりに。自身も敵将を討つ働きを見せた。その後、一説には豊臣秀長による毒殺ともいわれるが、父が41歳で急死。豊久は18歳で佐土原城主となり、約3万石の豊臣大名となる。23歳で朝鮮へ出兵。数々の武勲を立て、13の首と鼻を秀吉に送ったという話も残る。2度目の朝鮮出兵まで、6年間陣を張った。  国に戻り、重臣の謀反を制圧した都城での9か月間の戦い、庄内の乱を経て、同年佐土原から伏見(京都)へ。大名の務めとして都に上がったようだが、そんな折、石田三成が挙兵。徳川家康率いる東軍と相対する三成率いる西軍の武将として、伯父・島津義弘とともに関ヶ原の戦いに参戦する。小早川秀秋の裏切りにより、島津軍は数万の敵の真っただ中に1500人ほどで取り残される。死を覚悟し、敵に向かって行こうとする義弘に、豊久は「島津家の行く末は義弘公にかかっている」と説得。義弘の盾となるべく敵中突破をはかり、敵陣へ。討死し、30歳という若さで人生を終える。 監修 志學館大學 非常勤講師 にいな かずひと さん 1971年、宮崎市生まれ。鹿児島大学卒業後、東北大学で博士号(文学)取得。みやざき歴史文化館、宮崎市きよたけ歴史館学芸員を経て、現職。著書に『島津四兄弟の九州統一戦』(星海社新書)、『島津貴久 戦国大名島津氏の誕生』(戎光祥出版)など。現在、「上井覚兼日記」の現代語訳版を執筆中。 豊久にまつわる3つのキーワード! その1 美男子だった⁉︎  江戸時代に国学者・白尾国柱が薩摩に伝わる故事、軍記、偉人などをまとめた『倭文麻環(しずのおだまき)』という本で豊久はこのように記されています。「世に類ひなき容顔美麗なるのみならず、智勇卓犖(たくらく)たる少年」。つまり「他に比べようのないほどの美男子であるばかりでなく、この上ない知恵と勇気をもった少年」ということです。「豊久=美男子」説が生まれました。  ただ、島津氏家臣の『上井覚兼日記』によると16歳頃、豊久は天然痘にかかった記述があり、顔にその跡があったのではないかと にいな さんは推測します。関ヶ原での討死による顕彰の意味もあり、「美化された可能性も」(にいな さん)。  『島原軍記』という別の書物には、豊久は軽い吃音で言葉の少ない人物であったとも書かれ、その様子がかえって上品に見えたのではという専門家もいます。真相はわかりませんが、「あばたもえくぼ」と言いますし、顔自体は端正で物静かで勇ましい豊久……。地元のヒーローとしてはやっぱり美男子であってほしい!……ですね。 その2 人生のほとんどを戦場で過ごした⁉︎  元服(16歳)前に北部九州を治めていた戦国大名・龍造寺隆信と戦った沖田畷の戦いで初陣を果たし、敵将を一人討ち取ったとも言われている豊久。父・家久譲りの戦上手であったことは間違いないようです。年表でもわかりますが、豊久の人生は戦いの記述ばかり。二度の朝鮮出兵から帰国した翌年には、島津領内で重臣が蜂起した庄内の乱へ。その翌年には関ヶ原の戦いで大将でありながら、自らおとりとなって島津家当主の義弘を逃がそうと敵に向かって突進し、30歳の若さで壮絶な最期を遂げました。 その3 10代から酒豪だった⁉︎  戦国時代の島津家では、毎晩のように酒を飲んでいたそう。先述の『上井覚兼日記』には、豊久が17歳の頃、今の宮崎市大字塩路付近に「鴨網猟」に出かけた際の酒豪ぶりが描かれています。鴨網猟とは、現在では全国で石川県加賀市と宮崎市でのみ行われている、巨大な網で鴨を捕獲するもの。当時は秋の鴨猟シーズンに近くの宿に泊まり、夜更けまで酒宴。二日酔いになる者が多い中、豊久は明け方から元気に猟に出かけたと言います。「当時のお酒はどぶろくのような日本酒か泡盛だったと考えられます。薩摩人は酒に強いイメージですが、豊久は中でも強い方だったのでは」(にいな さん)とのこと。 ===================924text06=================== 佐土原に勇敢な武将 「豊久」がいたことを語り継いで 作家 おまた むぎほ さん  長野県在住の作家、おまた むぎほ さんは『豊久の女(め)』という物語を描き、佐土原にも10回以上足を運んでいます。小俣さんが豊久を知ったきっかけは漫画『ドリフターズ』。「関ヶ原の戦いに島津が参戦していたのか」という素直な驚きから、頭で考える前に体が動き、戦に突っ込んでいく豊久を知り、「なんて豪快な性格の人なのか」と興味をひかれたといいます。それと同時に、「文献や資料で調べると、短歌の素養もあることがわかってきて、知的で物静かな面もあり、普段は穏やかな人だったのではないか」とも。 佐土原に血縁を残す こともなく死んだ豊久  歴史のうねりに翻弄された豊久の短い人生……。「数々の武勲を立て、最後は関ヶ原の戦いで島津家の要だった伯父・義弘の命を優先させて犠牲になる。そんな豊久に直系の子孫がいないことが悲観に感じられた」という小俣さん。そこから、〝実は豊久には本妻とは別に心を通わせた女性がいて、彼女の生んだ子がめぐりめぐって島津家中で血脈を残す〟というストーリーを紡ぎ出しました。 「豊久がつないだ宮崎との縁が私の人生を後押ししてくれた」  『豊久の女』は小俣さんがデビュー前に書いた作品。「親しくなった佐土原歴史資料館の方に読みたいと言ってもらい、『じゃあ一人でこっそり読んで感想を聞かせてください』と本をお送りしたんです。するとしばらくして『資料館のみんなもおもしろいと言っている、早く続きを読ませて』と。約束と違うと思いましたが(笑)、年齢も性別も違う方々に喜んでもらい、一般の人たち向けにも書けるという自信がつき、私を作家の道へ後押ししてくれた出来事になりました」(小俣さん)。  豊久がつないだ、小俣さんと宮崎人との出会い。小俣さんは最後にこう話してくれました。  「宮崎にはいろいろな偉人がいると思いますが、その中に身を挺して主君を守った勇敢な武将がいたことを知ってほしい。岐阜県関ケ原町では豊久のことを知らない人はいないほど。豊久が佐土原にいた期間は非常に短かったが、郷土の土台を作った、誇れる人物として地元の人に語り継いでいってほしいです」 おまた むぎほ さん 1977年、長野県生まれ。東京のデザイン学校を卒業し、イラストレーターとして活動する傍ら児童文学の著作活動も続け、2014年『豊久の女』を発表。その後、『さっ太の黒い子馬』(講談社)でJRA 賞馬事文化賞、『ピアノをきかせて』(講談社)で日本児童文学者協会新人賞を受賞。現在、改訂版『豊久の女』の編集作業に取り組む 生誕450年記念 宮崎で初の「しまづ とよひさ フェスティバル」 佐土原城主・しまづ とよひさ の生誕450年を記念したイベントが開催されます。島津家ゆかりの地である鹿児島県日置市のご協力のもと、武者行列や日置市鉄砲隊による演武の他、豊久に関するトークショーや各種ステージイベントなどが企画されています。 当日は豊久の墓(左から2番目)がある天昌寺跡まで、武者行列を行います。 しまづ とよひさ フェスティバル 日時 2020年11月22日(日曜) 12時から午後3時まで 場所 宮崎市佐土原歴史資料館「鶴松館」(佐土原町上田島8227-1)    駐車場・佐土原地区交流センターおよび佐土原城跡周辺 問い合わせ先 佐土原総合支所 地域市民福祉課 電話73-1111 ファックス番号73-4279 漫画「ドリフターズ」原画展も同時期、宮崎初開催 島津家の武将の中でもあまり取り上げられることがなかった豊久を一躍、表舞台に立たせたきっかけが、漫画『ドリフターズ』。漫画家・平野耕太さんが2009年から10年以上にわたって月刊漫画誌で連載を続け、アニメ化も。ストーリーは史実から飛躍し、アクション・ファンタジーと言えますが、豊久を「戦国最強のサムライ」と称し、主人公に据えています。 しまづ とよひさ 生誕450年 「ドリフターズ」原画展 日向の陣 日時 11月20日(金曜)から29日(日曜) 9時から午後4時30分まで    (最終入館午後4時、期間中は休館なし) 場所 宮崎市佐土原歴史資料館「鶴松館」 料金 無料 問い合わせ先 宮崎市佐土原歴史資料館 電話74-1518(平日は生目の杜遊古館に転送) ※上記イベントにつきましては、 新型コロナウイルス感染症の感染拡大状況により、中止や内容変更の可能性があります。 問い合わせ先 佐土原総合支所 地域市民福祉課 電話73‐1111 ファックス番号73‐4279