−−−−−−−−−−−−−934text10−−−−−−−−−−−−− 地元に残る戦争跡からふるさとの歴史を知ろう  8月15日は76回目の終戦記念日です。宮崎空港周辺の赤江地区には、旧海軍航空隊宮崎基地の戦争跡がいくつも残っています。「宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会」では、戦争跡の整備や管理、案内ガイドなどをし、ふるさとの歴史と平和の尊さを伝えるボランティア活動をしています。コロナ禍の修学旅行先として、昨年から多くの小中学生が見学に訪れるなど注目されています。今年の夏は、地元に残る歴史に触れ、平和について考えてみませんか。 旧海軍航空隊宮崎基地とは 宮崎基地は1943(昭和18)年に「練習基地」として作られましたが、翌年には「作戦基地」となり、終戦にいたるまで日本防衛の南九州最大の戦略的基地の役目を果たしてきました。ここから多くの隊員が“祖国のために”を合言葉に飛び立ち帰らぬ人となりました。慰霊碑には、最初に特攻隊として亡くなった19才の永峰肇飛行兵長をはじめ隊員たちが飛び立つ前に読んだ歌や遺書が刻まれています。 戦争遺構めぐり 探訪コース ①対空機銃弾薬庫 1944(昭和19)年末から翌年初めにかけて作られた旧大日本帝国海軍の対空機銃陣地の弾薬庫です。 ②掩体壕(えんたいごう) 戦争時に敵の爆撃や砲撃、銃撃などから航空機を守るために作られました。 ③宮崎特攻基地慰霊碑 宮崎基地から飛び立った特攻隊と宮崎県出身の特攻隊799人をまつっています。毎年4月第2日曜日に慰霊祭を開催します。 ④門柱の史跡 旧海軍航空隊宮崎基地の営門(西門)の門柱を移設したもの。正門には「宮崎海軍航空隊」と「赤江航空隊練習部」の表札があります。 ⑤宮崎空港送迎デッキ 宮崎空港送迎デッキには弾薬庫や掩体壕、飛行場の昔と現在を比べたパネルが展示されています。 こちらにも注目! 本郷地区掩体壕 本郷地区に4基ある中型掩体壕のうち1基を市で取得し、整備を行いました。 滑走路は当時の小学生たちが石を敷き詰めて作ったものです。ここから多くの若い特攻隊員が飛び立ち、海に散りました。尊い犠牲のうえに、今の平和があります。平和の尊さを伝えていきたいと活動しています。ぜひ探訪にきてください。 宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会 副会長 後藤徹夫さん 探訪コースのお問い合わせ 宮崎特攻基地慰霊碑奉賛会 TEL080-2783-9473 (問)赤江地域センター TEL51-4274 FAX55-1120