===================939text0607=================== キラリ!特大版 輝きを放った宮崎出身の選手・指導者・アーティスト 東京2020大会 感動をありがとう 東京2020オリンピック・パラリンピックでは本市出身やゆかりのある選手も出場し、活躍しました。それぞれに大会への思いなどについてお話を聞きました! いのうえ こうせい氏 柔道家(七段) プロフィール 5歳から柔道を始める。シドニーオリンピックで金メダルを獲得。アテネオリンピック日本選手団主将。2008年現役引退。全日本のコーチを経て2012年に全日本男子代表監督に就任。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは7階級すべてでメダルを獲得。宮崎市特別栄誉賞を受賞。東京オリンピックでは史上最多5個の金メダルを獲得。9月末に監督退任。2回目の宮崎市特別栄誉賞を受賞。 選手時代も監督時代もすべては過程 経験と財産を次に生かすことが大事 疑問その1 2021年はどのような1年でしたか? 回答その1 我々にとって一番のイベントであるオリンピックがありました。選手たちは本当に頑張り素晴らしい試合をしてくれました。監督としてあの時間を共にできたこと、彼らからいろいろなことを学べたことは一生の財産になりました。 疑問その2 開催が危ぶまれました。どうモチベーションを維持しましたか? 回答その2 人生すべてに言えると思うのですが、世の中には自分たちが変えられることと変えられないことがあります。変えられないことにすがっていても待っていてもしょうがありません。自分たちがやれることを一歩一歩進め、お互い鼓舞し合いながら戦いへ向けての準備を重ねてきました。 疑問その3 監督時代を振り返り、今どのようなお気持ちですか? 回答その3 すべての出来事に終わりはなく、すべて過程に過ぎないと思っています。選手時代も監督時代もそうです。一つ一つの過程で得た経験や財産をこれからどう社会や柔道界、スポーツ界に還元していくかが自分に与えられた使命だと思いますので、2022年もより一層努力し、いろいろなことにチャレンジしていきたいと思っています。 疑問その4 宮崎市特別栄誉賞を受賞されました。お気持ちをお聞かせください。 回答その4 大変光栄に思いながらも恐縮しています。この賞は以前にも頂いたことがあります。皆さまから「ここで満足するんじゃないぞ。ここから先の活躍をより一層楽しみにしているぞ」という叱咤激励だと思っていますので、この賞にふさわしい活動をしていきたいです。宮崎があったからこそ今の自分が確立され、たくさんの応援・ご支援をいただいてここまでこられました。本当に感謝しています。 2018年バクー世界柔道選手権大会にて。 り はく選手 バレーボール男子日本代表/東レアローズ ミドルブロッカー プロフィール 1990年12月27日生まれ。宮崎市出身。檍北小学校、檍中学校を卒業。日向学院高校時代に春の高校バレーやインターハイで活躍。筑波大学時代に「つくばユナイテッドSun GAIA」の選手として活躍。卒業後、東レアローズへ入団。2013年に日本代表に初選出。2017年バレーボール世界選手権アジア予選メンバーとして活躍。東京2020オリンピックメンバーとして初出場し7位入賞。宮崎市栄誉賞を受賞。 写真提供 東レアローズ 夢だったオリンピックの舞台 スピード感ある速攻攻撃で初得点 疑問その1 バレーボールを始めたきっかけは? 回答その1 バレーボール選手だった母の勧めで小学4年生の時に檍スポーツ少年団に入団しバレーボールを始めました。 疑問その2 オリンピックは何歳頃から目標にしていましたか? 回答その2 オリンピックを本当の意味で目標にしたのは2019年のワールドカップが終わってからです。基本的に目の前の試合で勝つことを目標にしています。 疑問その3 オリンピックの代表選手に選ばれたときのお気持ちは? 回答その3 とても光栄に思いました。代表に残れなかった仲間の分まで頑張ろうと思いました。 疑問その4 初めてのオリンピックの舞台はいかがでしたか? 回答その4 1点、1球の重みをとても感じました。海外の選手を見ていても、勝ってこれだけ喜んで、負けてこれだけ泣くぐらいの本気度のある戦いはやはりオリンピックだなと思いました。 疑問その5 オリンピックを経験して、気持ちに変化はありますか? 回答その5 上のレベルで戦っていくためには、1点、1球に対する集中力、劣勢でも跳ね返すメンタルと技術が本当に大切だと感じました。これからもその高い志で日々取り組んでいかないといけないと感じています。 疑問その6 これからの目標は? 回答その6 Vリーグ優勝に向けてやるべきことをやっていきます。 疑問その7 宮崎市栄誉賞受賞、おめでとうございます。市民へメッセージをお願いします。 回答その7 日頃から皆さんの支えがあって、賞を頂くことができました。本当にありがとうございました。この賞に値する選手になれるように引き続き頑張っていきます。 (写真上)宮崎市で開催されたVリーグで、五輪後地元で初プレー。 (写真下)「ふじーりー」「東レライン」の愛称で呼ばれる超高速クイック。宮崎市栄誉賞受賞式の様子(令和3年11月)。 ===================939text0809=================== 二人三脚で歩んだ7年間。7位入賞は絶え間ない努力の証 とやま あいみ選手 陸上競技女子400メートルT20日本代表/宮崎銀行 東京2020パラリンピック大会女子400メートルT20競技で7位に入賞した外山さん。奥松美恵子コーチのもとパラリンピックへ向け、就業前の朝練習で1時間筋力トレーニングを、終業後には走り込みをするなど練習を積んできました。手の甲には意識するポイントを書きレースへ。これまでにT20クラスの200メートル、400メートルで日本記録を樹立するなどの実績があり、「手足が長く、本番では150パーセントの力が出せる」と奥松コーチが評する集中力で、東京2020パラリンピックで7位に入賞しました。 とやま あいみ プロフィール 中学時代に部活で陸上を始める。高校時代から奥松美恵子コーチの指導のもと、本格的にトレーニングを始める。2018年のアジアパラ大会女子400メートル知的障がいクラスで銀メダル、2021年ジャパンパラ陸上競技大会400メートルで1位、800メートルで2位。東京2020大会では7位入賞。宮崎市栄誉賞を受賞。宮崎銀行所属。 おくまつ みえこコーチ パラリンピック日本代表選手団陸上コーチ/ 県立みなみのかぜ支援学校 疑問その1 奥松コーチが外山選手の指導を始めたきっかけは? 回答その1 以前から障がい者のジョギングクラブ「ユニファイドラン」にて障がい者の指導をしていました。外山さんが高校1年の冬に、しろやま支援学校の陸上顧問の先生から指導を依頼されたのが始まりです。それから7年にわたり練習をしてきました。外山さんが社会人になってからは、仕事前に朝の練習で筋トレをし、仕事終了後に走り込みの練習をしてきました。 疑問その2 長年にわたりパラアスリートの指導に尽力されてきました。これまでを振り返り、一番に思うことは? 回答その2 決勝で最後まで気持ちを切らさずに指導することに必死でした。今思うことは、宮崎からパラアスリートを育て、きちんと外山さんの目標を達成させることができて良かったと思います。 疑問その3 外山選手とここまで二人三脚でやってこられましたが、そこで得たものは? 疑問その3 忍耐、自分の感情だけで動かないことです。得たことをこれからの障がいスポーツの指導者として生かしていきたいと思います。 最後までモチベーションを維持できるように声をかけあいながらレースに向け準備を進める外山選手と奥松コーチ。 おくまつ みえこ プロフィール 県立みなみのかぜ支援学校の教諭。リオデジャネイロ2016パラリンピック、東京2020パラリンピックで陸上日本代表のコーチを務め、長年にわたり日本の障がい者陸上界をけん引。外山愛美さんが高校2年生の頃からコーチとして指導し、パラリンピック出場へ導く。障がい者のジョギングクラブ「ユニファイドラン」のコーチとしても活躍。宮崎市功績者表彰を受ける。 写真提供 株式会社宮崎銀行 片腕のギタリスト てるひこ(ゆがみ てるひこ) ギタリスト 右半身まひで片腕のギタリストとして活躍 念願のパラリンピック閉会式でステージに 疑問その1 パラリンピック閉会式を終え今思うことは? 回答その1 半身まひで片腕だけでギターを弾くことは不可能と言われていました。しかし、リハビリに励み不可能を可能にし、夢だった東京2020パラリンピックの舞台に立つことができました。「できない」の壁は自分自身が作っています。あきらめずに生きることの大切さを、命がけの演奏で聴く人の心に届けていきたいと思い、舞台に立ちました。パラリンピックを経験し、自分の障がいは大したことないと思うくらい、多くの人がそれぞれに努力していて、自分はまだまだ頑張らなくてはと感じました。 疑問その2 今後の目標は? 回答その2 障がいを持つ演奏家やダンサーなどとショーをしたいと思っています。ショーの会場で障がいについて紹介し、知ってもらう機会が増えれば、障がい者への理解も深まり、世界はもっと平和になると思います。 辛いリハビリを乗り越えてたどり着いたパラリンピックのステージ。支えてくれた人への感謝を胸に大役を務めました。 プロフィール 宮崎市出身。13歳からギターを始めプロミュージシャンとして活躍。9年前に脳出血で倒れ右半身麻痺が残る。5年の歳月をかけ左腕だけでギターを演奏できるようになりソロコンサートなどを展開。メディア出演や講演活動など多方面で活躍。パラリンピック閉会式ではステージパフォーマンスを披露。聖火ランナーも務めた。 写真提供 ゆがみ てるひこさん 宮崎市ゆかりの選手 本市で高校時代を過ごし、当時から頭角を現していた選手もオリンピック日本代表選手として、熱いプレーで感動を与えてくれました。 にしむら けん選手 空手 男子組手75キロ級 日本代表/株式会社チャンプ 福岡県出身。元世界チャンピオンの父・誠司さんのもと3歳で空手を始める。宮崎第一高校では全国高校総体で優勝、国体2連覇など早くから注目を集めた。長身を生かした蹴りが得意で、2018年のWKF世界空手道選手権で銅メダルを、2019年のAKFアジア空手道選手権で金メダルなどを獲得。大技でポイントを奪う戦い方で、今後の活躍も期待される。東京2020大会では個人戦5位入賞。 写真提供 公益財団法人 全日本空手道連盟 はら のぞみ選手 ハンドボール女子 日本代表/三重バイオレットアイリス 延岡市出身。8歳からハンドボールを始める。宮崎学園高校時代に2006年日本代表U-16、2008年第2回女子ユース世界選手権大会日本代表U-18に選出。高校卒業後は日本体育大学へ進学。2009年第10回女子ジュニアアジア選手権の日本代表U-20に選出。2018年アジア選手権で銀メダルを獲得。ポジションは攻守の要であるレフトバック。代表チームの主将を務めた東京2020大会では12位。 写真提供 Yukihito TAGUCHI/JHA、IHF