特集2 宮崎にもあったんだ! ハッケン!江戸の足跡  江戸時代に日本地図を作ったいのうただたかの足跡が、宮崎に残されていることをご存じですか? そんな江戸時代の宮崎にまつわる文化財と、知られざる物語を紹介します。 問い合わせ先 文化財課電話︎47-8012ファックス番号47-8202 いのうずって?  いのうずとは、いのうただたかが中心になって日本全土の測量を行い、1821年に完成した日本地図のこと。現在の地図と比べても極めて誤差が小さく精密な地図になっています。正本は存在しませんが、アメリカでの模写図発見など、平成になってその全容解明が進んでいます。今年2月に宮崎平野が描かれた模写図のコピーが海上保安庁宮崎海上保安部から市に寄贈され、現在は学習資料として保管しています。 いのうただたか  現在の千葉県に生まれ、商人として成功の後、49歳で隠居。50歳から学び始めた天文・暦学がきっかけで地図作りを始め、幕府の命を受けて約17年を掛けて日本全土を測量し、日本地図の作成に大きく貢献しました。 宮崎ではさどわらや内海に泊まりました ミステリー①  地図上に残る謎の記号。 その意味は? 1いのうは、約17年に及ぶ測量の中で、宮崎に2度足を運んでいます。 文化財課 井田篤 2交通の要所だったさどわらには一ツ瀬川河口に港の印を書いたり 3現在の宮崎神宮には神社の印 中村町や城ヶ崎には宿場を表す○印が見られます。 4それではクエスチョンです。 星印は何を表しているでしょう。 正解は「天体観測をした場所」です!  いのうただたかの率いる測量チームは、夜になると天体観測をして各地の緯度も測定しました。北極星の見える位置の誤差で緯度を算出したそうです。 ミステリー②  市が誇る観光地。 いのうが訪れた時の名は? 1いのうらが主に海沿いや街道を歩いて作成したいのうず。 地図には現在もそのまま使われている地名が多く書かれています。 2さどわらの「下田島」や「新別府」なども今と同じですね。 3一方、当時と今で異なるものもあります。 大淀川は、当時は「赤江川」でした。 4それではクエスチョンです。 青島は、当時、何と呼ばれていたでしょう。 正解は「あわしま」です!  いのうずには「あわしま」と記されています。青島は他にも古くは「しだの浮島」や「かもつく島」などと呼ばれていたそうで、歴史の長さを感じさせますね。 ミステリー③  いのうが日記に書いた青島にあるものとは? 1それではその「あわしま」、現在の「青島」からラストミステリーです! 2いのうは青島に渡り、渡り幅や外周も測量しました。 3日記には青島神社や、3本の大きなビロウ樹があったことなどを書いています。 4それではクエスチョンです。 今も青島神社の境内にあるもので、いのうが日記に書いたものとは何でしょう。 正解は「玉の井」です!  社務所のそばにある玉の井は、神話の中で山幸彦が豊玉姫と出会ったとされている場所。いのうは「海の近くであるが汐(海水)も入らず、名水であるという」と書いています。 実はこういうものも宮崎市にあります  ほかにも、教科書に登場する、あっと驚く史料が存在します。 江戸時代の武家の決まりごと 武家諸法度  江戸幕府が大名たちを統制するために出した法令。文武両道の奨励や、新しく城を築くことの禁止などを定め、違反者は厳しく罰せられました。高岡町で発見され、現在はあまがじょう歴史民俗資料館に保管されています。 実物を用いた小学校での出前授業 高岡町で発見された実物 西洋の解剖学書の翻訳本 解体新書  江戸時代にオランダから持ち込まれた解剖学書「ターヘルアナトミア」を、医者の杉田玄白らが翻訳。高岡に残る重訂版は、幕末に高岡の武士が入手したものと考えられています。 全て漢文で記述されています 実物を用いた小学校での出前授業  ご要望いただければ、地域や学校で出前授業を行っています。お気軽に問い合わせてください! 文化財課指導主事 田中信宏