===================973text0203=================== 特集 宮崎市制100周年 〜これからも笑顔で100年〜 宮崎市制100年のあゆみ 大正13(1924)年に宮崎町・大淀町・大宮村が合併したことで誕生した宮崎市。 誕生から、周辺の町や村を編入し面積や人口を増やしながら、今年で市制100周年を迎えました。 100年の歴史を時代を追いながら写真とともに振り返ります。 1924年から 宮崎市の誕生と交通の発展 1924年 大正13年 宮崎町、大淀町、大宮村が合併して宮崎市が誕生(人口41904人、面積41.15平方キロメートル) 初めて路線バスが運行される(旭通りー宮崎神宮間) 1926年 大正15年(昭和元年) 宮崎市街自動車株式会社(現:宮崎交通)が設立され、大淀駅(現:南宮崎駅)ー宮崎神宮間の営業を開始 1932年 昭和7年 檍村を編入(人口63132人、面積61.19平方キロメートル) 橘橋(5代目・鉄筋コンクリートアーチ橋)完成 現在の県庁舎(本館)が完成 1933年 昭和8年 「祖国日向産業博覧会」が開催され、会期45日間で23万人が訪れる 1939年 昭和14年 「こどものくに」が開園 1940年 昭和15年 神武天皇即位2600年を記念し「八紘之基柱(現在の平和の塔)」が建立された 1943年 昭和18年 赤江町を編入(人口80576人、面積87.57平方キロメートル) 赤江海軍飛行場が完成 戦争末期、多くの特攻隊員が飛び立った 宮崎交通の前身・宮崎市街自動車(株)設立 ※旧みやざき歴史文化館展示パネルより 当時の宮崎市役所庁舎(昭和23年) 宮崎空港が赤江に開設。大阪から福岡から宮崎間の運行が始まった(昭和29年) ----------------------------------------------- 1944年から 戦争と焼け野原からの復興 1945年 昭和20年 宮崎市が初めて空襲を受け、以降たびたび空襲を受けた 宮崎駅周辺から江平、大工町にかけて市街地の3分の2が焼失し、焼け野原となった 被災戸数2397戸、死者123人、負傷者167人 1946年 昭和21年 戦災復興事業として、主要路線の道路拡張や区画整理が進められた 1947年 昭和22年 宮崎市観光協会設立 1948年 昭和23年 橘通2丁目商店街の初のアーケード(木製)がお目見え 1949年 昭和24年 新市庁舎が現在の広島一丁目(現在の別府街区公園)に移転 1950年 昭和25年 市の人口が10万人を突破 1951年 昭和26年 瓜生野村、木花村、青島村、倉岡村を編入(人口127976人、面積223.99平方キロメートル) 1952年 昭和27年 大淀川に市民水泳場を設置 県内資本による初めてのデパート「橘百貨店」が開店 1954年 昭和29年 初めてのアーケード街「大成銀天街」ができる 「南国宮崎産業観光大博覧会」が開催される(52日間で44万人) 旧海軍赤江飛行場跡に宮崎空港が開設される 日南海岸が国定公園に指定される 1957年 昭和32年 住吉村を編入(人口149423人、面積251.58平方キロメートル)、宮崎大橋が完成 1959年 昭和34年 プロ野球 読売巨人軍が宮崎キャンプを開始 1963年 昭和38年 生目村を編入(人口171916人、面積285.91平方キロメートル)、(現)市庁舎が完成 こどものくにでのイベント(昭和33年から36年頃) 島津久永・貴子夫妻来宮(昭和35年) ----------------------------------------------- 1964年から 観光都市「南国宮崎」と新婚旅行ブーム 1965年 昭和40年 宮崎市民会館が完成し、市制40周年記念式典を実施 作家 川端康成が宮崎で原稿を執筆したNHKテレビ小説「たまゆら」放送開始 橘公園や青島がドラマの舞台となり、宮崎への新婚旅行ブームが起こった 1969年 昭和44年 市の人口が20万人を突破 1971年 昭和46年 大淀大橋が完成、市民の森およびフェニックス自然動物園オープン 1973年 昭和48年 県内初の大型店舗として宮交シティが開業 1979年 昭和54年 現在の橘橋(6代目)が完成 第34回国民体育大会「日本のふるさと宮崎国体」が開催 1981年 昭和56年 九州縦貫道宮崎線が開通 1982年 昭和57年 宮崎大学移転及び宮崎医科大学設置にともなう「宮崎学園都市」の建設が始まる 動物園初代園長の片山望氏と開園の翌年、タイからやってきたメスのアジアゾウ「ぱくⅡ世」 6代目となる現在の橘橋が完成(昭和54年) ----------------------------------------------- 1984年から 教育・文化・福祉の市政展開と中核市移行 1987年 昭和62年 宮崎港の港開き、宮崎科学技術館開館 1988年 昭和63年 宮崎県立図書館が船塚(宮大農学部跡地)に移転、開館 1990年 平成2年 宮崎空港の滑走路延長、新ターミナルビル完成 1993年 平成5年 JR日豊本線宮崎駅周辺の鉄道高架が完成、JR宮崎駅の新駅舎完成 宮崎公立大学が開学 1994年 平成6年 フェニックス・シーガイア・リゾート グランドオープン 宮崎市総合福祉保健センター、宮崎市立図書館が開館 1995年 平成7年 大淀川学習館開館、宮崎県立美術館開館 市の人口が30万人を突破(国勢調査速報値) 1996年 平成8年 宮崎市民文化ホール開館 1998年 平成10年 宮崎市が中核市に移行、宮崎市保健所を設置 1999年 平成11年 「グリーン博宮崎’99(第16回全国都市緑化みやざきフェア)」開催 2000年 平成12年 「G8九州・沖縄サミット宮崎外相会合」がシーガイアで開催 2003年 平成15年 プロ野球 福岡ダイエーホークス(現:福岡ソフトバンクホークス)が宮崎キャンプを開始 第34回国民体育大会開催(昭和54年) 平成10年4月1日、宮崎市が中核市に移行。このころ宮崎市の人口は30万人に ----------------------------------------------- 2004年から 平成の大合併による市域の拡大と市制100周年 2005年 平成17年 イオン宮崎ショッピングセンター開業 台風14号による記録的な豪雨により、市内に甚大な被害が発生 2006年 平成18年 佐土原町・田野町・高岡町を編入(人口367829人、面積596.80平方キロメートル) 2009年 平成21年 宮崎市生目の杜遊古館、みやざきアートセンター開館 2010年 平成22年 清武町を編入(人口400583人、面積644.61平方キロメートル) 2014年 平成26年 東九州自動車道 宮崎から延岡間が開通 2015年 平成27年 プロ野球 オリックス・バファローズが宮崎キャンプを開始 2020年 令和2年 アミュプラザみやざき開業 2021年 令和3年 「第35回国民文化祭・みやざき2020、第20回全国障害者芸術・文化祭みやざき大会」開催 2023年 令和5年 「G7広島サミット宮崎農相会合」がシーガイアで開催 2024年 令和6年 宮崎市制100周年を迎える 国道269号加納バイパス開通(平成20年) G7宮崎農相会合シーガイアで開催(令和5年) プレゼントキーワード「す」 ===================973text0405=================== 特集 宮崎市制100周年 〜これからも笑顔で100年〜 数字で見る宮崎市の変化 歴史を重ねるごとに人口と面積も変化しています。その変遷をご紹介します。 人口の変化 1924年 大正13年 4万1904人 1932年 昭和7年 6万3132人 1943年 昭和18年 8万576人 1950年 昭和25年 10万人突破 1951年 昭和26年 12万7976人 1957年 昭和32年 14万9423人 1963年 昭和38年 17万1916人 1969年 昭和44年 20万人突破 1995年 平成7年 30万人突破 2006年 平成18年 36万7829人 2010年 平成22年 40万583人 面積の変化 市制施行後の市域の変遷 市制施行 1924年(大正13年)4月1日 宮崎町・大淀町・大宮村(41.15平方キロメートル) 合  併 1932年(昭和7年)4月20日 檍村(61.19平方キロメートル) 合  併 1943年(昭和18年)4月1日 赤江町(87.57平方キロメートル) 合  併 1951年(昭和26年)3月25日 瓜生野村・木花村・青島村・倉岡村(223.99平方キロメートル) 合  併 1957年(昭和32年)10月1日 住吉村(251.58平方キロメートル) 合  併 1963年(昭和38年)4月1日 生目村(285.91平方キロメートル) 合  併 2006年(平成18年)1月1日 佐土原町・田野町・高岡町(596.80平方キロメートル) 合  併 2010年(平成22年)3月23日 清武町(644.61平方キロメートル) 市制施行 宮崎町 大淀町 大宮村 大正の合併 昭和の合併 平成の合併 ----------------------------------------------- 宮崎市のシンボル 宮崎市を表す市章や市旗をはじめ、市の木や花はご存じですか?また、それらに込められた意味は?意味も含めてご紹介します。 市章 宮崎の「宮」を図案化したもの。外円は平和を意味し、中央の結びは団結を示し、扇形は末広がりの発展を表しています。 市旗 澄みきった青い空と紺碧の海の色を「群青」で表し、マークの「黄色」は灼熱の太陽と平和を表しています。 CIマーク 宮崎市のイニシャル「M」とカタカナの「ミ」を重ね合わせてデザイン。太陽の光が飛び交う姿、大淀川等の水が流れる様子、フェニックスの葉を表現。 市の木「くすのき」 日本古来の木。成長するにしたがって重厚さを増す木だからこそ、そこに宮崎市の発展を重ね合わせています。 市の花「花しょうぶ」 5月から6月にかけて水辺に咲き、日本的な情緒を感じさせる花。市民の森をはじめ市内各地に植栽されています。 市の花木「つばき」 日本有数の椿園・椿山森林公園には約1000種類、約48000本が植栽され、国際ツバキ協会から平成15年に国際優秀椿園にも選ばれました。 ----------------------------------------------- 宮崎市の四季 四季折々にさまざまな行事やイベントが行われています。 春 スポーツキャンプ 2月 宮﨑神宮 神事流鏑馬 4月3日 みやざき国際ストリート音楽祭 4月29日 夏 海水浴 7月上旬から えれこっちゃみやざき 7月中旬から下旬 みやざき納涼花火大会 8月初頭 みやざきグルメとランタンナイト 8月初旬から中旬 秋 神武さま御神幸行列 10月26日後の週末 イセエビ解禁9月1日 ゴルフマンス11月1日から トレッキング 冬 イルミネーション 11月中旬から 大根やぐら 11月ごろから 青島神社 裸まいり 成人の日 ===================973text0607=================== みんなのおすすめ!宮崎市 「皆さんの住むまち「宮崎市」めのおすすめは何ですか?」 子どもとおとなに聞いてみました! 場所編 青島 昔も今も変わらず市を代表する観光地 子ども部門1位 おとな部門1位 一ツ葉海水浴場 フェニックス自然動物園 開園から行っている国内でも珍しいフラミンゴショー! 子ども部門2位 おとな部門5位 フローランテ宮崎 一年中美しい芝生の広場がおとなにも子どもにも人気 子ども部門3位 おとな部門4位 ニシタチ 宮崎市最大の繁華街!人口あたりのスナックの数が日本一 おとな部門3位 子ども部門12位 場所編では、青島や海水浴場が上位に。また、子どもは親と一緒に訪れる場所を挙げる傾向にあるようです。市民に身近な大淀川が子ども、おとなともに6位と総合的に上位でした。 ----------------------------------------------- たべもの編 チキン南蛮 元祖はムネ肉。現在はモモ派とムネ派、どちらもあり! 子ども部門1位 おとな部門1位 宮崎牛 全国和牛能力共進会で、4大会連続、内閣総理大臣賞を受賞 子ども部門3位 おとな部門3位 マンゴー 商品ブランド認定基準をクリアした「太陽のタマゴ」は全体の15パーセント 子ども部門2位 おとな部門5位 鶏の炭火焼 強火の炭火で焼きながら、肉に炭をまとわせた黒い色が特徴 おとな部門2位 子ども部門5位 たべもの編のラインナップではふるさとの味は年齢をとわず、おとなも子どもも、チキン南蛮が1位。また宮崎牛もどちらも3位という結果を見ると、誰もがおいしいと感じて、県外の人にも食べてほしいものは不偏で共通していると分かりますね。 ----------------------------------------------- 遊び・レジャー編 川遊び 加江田渓谷など、水辺がきれいな場所が人気 子ども部門1位 おとな部門7位 サーフィン 木崎浜は、世界選手権の会場にもなった人気スポット! おとな部門1位 子ども部門3位 ゴルフ 県外ゴルフファーにも宮崎でのゴルフトリップは憧れ おとな部門2位 子ども部門8位 キャンプ 虫や暑さが苦手なら、冬キャンプもおすすめ◎ 子ども部門2位 おとな部門5位 遊び・レジャー編は、身近なものだけでなく、多くの人から支持されている遊びやレジャーが挙がっていました。とはいえおとな部門の上位はサーフィンやゴルフ、子ども部門の上位は川遊びやキャンプと、それぞれ体験したものをおすすめしている傾向があります。 ----------------------------------------------- 子ども記者に聞いてみました! 100周年記念事業で、子ども記者に委嘱された児童生徒に、事業に参加した感想とこれから市に希望することを聞いてみました。 取材では、事前に練習もしていたのに、緊張して質問があまりできなかったのが残念でした。これからの宮崎市は、事故を減らす努力をしてほしいと思っています。事故が少なくなると人口も減らず、観光客に安全なまちと知ってもらえます。また、地域の人がもっと交流し合って、自然とあいさつが飛び交うまちになってほしいです。 西池小6年 きむらさん プロジェクトでは、事前に取材についての指導を受けられ、さまざまなことを学べました。日向夏の取材を通して、宮崎の魅力を再発見できました。これから自然体験できる場所を県外にもっとアピールして、市民が自慢できる場所を増やしてほしいと思います。また、水族館や遊園地など遊べる場所もほしいですね。 生目中3年 かりやさん 子ども記者事業 市内の小中学生が地域を取材して地元新聞紙の紙面で情報発信する事業。本市の歴史を振り返ることで、魅力を再発見するとともに、次世代を担う児童生徒の育成につなげていきます。 詳しくはこちら ----------------------------------------------- これからの宮崎市 100年前の大正13年、若き岩切章太郎氏は『民間知事』の志を胸に、帰郷されました。それからの本市の歩みは、戦禍や自然災害、口蹄疫やコロナ禍といった数々の困難に見舞われながらも、岩切氏をはじめとする先人たちの熱い想いと、市民の皆さんのたゆまぬ努力によって、力強く発展してきました。 南国の太陽の下、温かい人々が集う宮崎市。 新しい基本構想に掲げた「挑戦し、成長する開かれたまち」という都市像にあるように、今後も南国にふさわしい温かい心で、多様な人々や考えを受け入れ、開かれた宮崎市らしい発展を遂げることが本市の未来を切り拓くと信じています。100年後の宮崎市も誇りある街として子どもたちへバトンをつなぐことができるよう、ともに歩みを進めてまいりましょう。 宮崎市長 きよやま とものり お問い合わせ先 秘書課広報広聴室 電話21-1705 ファックス番号29-6547