宮崎市

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宮崎市の沿革

沿革

宮崎市は、大正13年4月1日に宮崎郡宮崎町、大淀町および大宮村の廃置分合を行い、市制を施行しました。
市制施行当時は、面積45.15平方キロメートル、人口は42,920人の田園都市であり、その都市生活の醸し出す雰囲気は、明るく伸び伸びとし、南国的な風土とともに極めて開放的でありました。
その後、昭和7年4月の檍村をはじめとして、赤江町(昭和18年4月)、瓜生野、木花、青島、倉岡の4村(昭和26年3月)、住吉村(昭和32年10月)および生目村(昭和38年4月)を編入合併し、宮崎県都として、産業、教育、文化、交通その他あらゆる面にわたって発展を遂げてきました。
また、平成10年4月1日には、政令指定都市に準ずる権限をもつ中核市に移行し、市民に密着した九州の中核市にふさわしいまちづくりを進めてきました。
さらに、平成18年1月1日に近隣の佐土原、田野、高岡の3町を、平成22年3月23日に清武町を編入合併し、人口約40万人、面積644.61平方キロメートル(合併当時)の新宮崎市として、新市が一体となった魅力あるまちづくりを進めてきました。

現在、平成31年4月から第五次宮崎市総合計画の下でまちづくりを進めていますが、本市の現況や社会情勢の変化を踏まえ、令和5年3月に総合計画を一部改訂し、同年4月から2年間、「力強い経済への挑戦」「誰一人取り残さない社会づくり」「未来への投資」の3つの新しい戦略プロジェクトを定め、各種施策を推進しています。
また、令和6年4月1日、本市は市制100周年を迎えました。一世紀という歴史の中で、先人のたゆまぬ努力や知恵に培われ、豊かな風土に育まれてきた産業、歴史や文化などの価値を高め、来たるべき新時代にふさわしい未来を切り拓いていく必要があることから、現在、第六次宮崎市総合計画の策定に取り組んでいるところです。

このほか、本市は「太陽と緑」に象徴され、南北に約36kmに渡る海岸線を有し、太平洋に沿って流れる黒潮によって温暖な気候風土に恵まれ、美しい松の大樹海の一ツ葉海浜をはじめ、亜熱帯植物の繁殖する青島の国定公園日南海岸につらなる風光はまさに南国的色彩に富んでいます。
また、昭和63年に国のリゾート法適用第1号の承認をうけた「宮崎・日南海岸リゾート構想」にもとづき、ホスピタリティ豊かな国際リゾート都市を目指すほか、近年では、生目の杜運動公園を核として「スポーツランドみやざき」の実現に積極的に取り組んでいます。
さらに、古代日本の神話と伝説に富む本市は、昭和40年12月に「日本のふるさと観光文化都市」を宣言し、昭和41年2月11日には、この歴史につながる縁によって、橿原市と姉妹都市の盟約を結んでいます。
また、平成4年5月25日にはアメリカ合衆国バージニアビーチ市と姉妹都市の盟約を、平成16年5月16日には中華人民共和国葫芦島市と友好都市の盟約をそれぞれ締結し交流を行っています。その後も、合併前の町が盟約を締結していた大韓民国報恩郡やアメリカ合衆国ウァキガン市とも本市が継続して交流を進めており、国際リゾート都市として発展しています。

位置及び地勢

宮崎市は九州南東部に位置し、地形は北部から西部にかけて丘陵地が連なり、南部は鰐塚山系、双石山系の山地で占められます。市内の北端には一ツ瀬川が、中央部には大淀川、清武川、加江田川などが東流し、広大な宮崎平野を形成して日向灘に注いでいます。東部の海岸は白砂青松の砂浜が続きますが、市南部に位置する青島以南は、山地が海岸まで迫り、複雑な海岸線を呈しています。

方位、地点、経度・緯度、東西・南北の距離等で宮崎市の位置・地勢を説明している表

宮崎市の合併の変遷の図解

 

 

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