市指定無形文化財

102.高岡の鶴賀新内

(市指定 無形文化財)

鳥越フミ子さんの写真

保持者:鳥越フミ子

指定:平成9年6月19日

鶴賀新内は、江戸時代に生まれた新内節浄瑠璃の流派名で、宮古路豊後掾の流れをくむ富士松薩摩掾の門弟鶴賀太夫が、宝暦元年(1751)に独立して朝日若狭掾と名乗り、幕府からとがめを受け「鶴賀若狭掾」と改名したのが起こりとされています。

高岡に伝わったのは明治年間で、豪商清水家第十代清水八郎左衛門が「鶴賀キンチョウ」なる人物を屋敷に住まわせ、各地に出向き三味線、鶴賀新内を伝授していったといわれます。

当時は、比較的裕福な家庭の娘たちが修練し、鶴賀新内を会得していましたが、現在では町内で鳥越フミ子氏が演奏できる唯一の人となっています。

鶴賀新内の曲目としては、傾城阿波の鳴門「巡礼唄の段」、出世景清「六波羅獄屋の段」、加賀見山旧錦絵「長局・奥庭の段」、明烏花濡衣などのほか十数曲にも及びます。

103.高岡じょっさい

(市指定 無形文化財)

保持者:鳥越フミ子

指定:平成10年4月16日

江戸時代から高岡でうたい継がれてきた民謡で、座興歌として宴会などで唄われました。三味線を伴奏にしたリズムは軽快で、本来はこれに太鼓のはやしも加わったといいます。その歌詞には、「日向高岡島津のとりで 今じゃ桜の天ヶ城」「薩摩去川にご番所がなけりゃ 連れて行きたやわが郷に」など、いかにも薩摩藩らしい文句が聞かれます。

高岡じょっさいのルーツをたどれば、「宮崎じょうさ節」に行きつくことができます。「宮崎じょうさ節」は、江戸時代に港町として栄えた城ヶ崎に隣接した中村町で盛んに唄われた流行の唄で、それが大淀川をさかのぼって高岡に根付いたものといわれています。

今では、鶴賀新内を伝承する鳥越フミ子氏が演奏できるだけとなっています。

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