市指定無形民俗文化財
105.木花相撲踊り
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:熊野
保持団体:木花相撲踊り保存会
指定:平成3年5月21日
木花相撲踊りには、江戸時代の終わりに相撲興行の余興として行なわれた甚句踊り等の遺風が見受けられ、相撲が芸能と深く結びついて行なわれていたことを知ることができます。明治・大正期を通じ、昭和の初め頃まで、地方では豊作を神に感謝し、男女こぞって祝相撲を奉納する行事が全国的に行なわれていましたが、その後、これらの踊りが急速に消滅していった中で、木花相撲踊りが延々と踊り継がれていることは貴重です。
シュロの皮で作った髷のカツラに豆絞りの鉢巻きをしめ、浴衣の両袖を抜き、黒衿の青襦袢、腰には紅白のしめ縄をしめ、踊り子のしこ名の頭文字を染め抜いた色彩豊かな化粧まわしをつけた女性ばかり20名程の踊り手が、相撲甚句にあわせて踊るユニークな民俗芸能です。
明治初期、大相撲の一行が宮崎地方に巡業に訪れ、3名の力士が居残って木花地方に住み着きこの踊りを広めたと伝えられています。
106.下北方六月踊り
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:下北方町
保持団体:六月踊り保存会
指定:平成15年3月28日
この踊りは六月という名の示すとおり、年中行事の農耕儀礼や夏越しと関連の深い民俗芸能であり、歌が明和5年(1768)の初演以来、最もよく知られる人形浄瑠璃「けいせい傾城あわの阿波なると鳴門」の巡礼歌の段の数え歌を使っている点に特徴があります。この巡礼歌を基にした歌は全国に伝えられていて、宮崎にも江戸時代から明治時代にかけて伝わり、市内各地に広まりました。踊りは、右手に扇子、左手に小臼太鼓を持ち、大小2つの鉦のリズムに合わせ、扇子をくるくる回しながら優雅に踊ります。
現在、この歌が残される他の地区の芸能が途絶えているのに対し、下北方地区では、優雅な動きの多い踊りとともに伝承されていることは極めて貴重です。
107.巨田神楽
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:佐土原町上田島巨田地区
保持団体:巨田神楽保存会
指定:平成5年3月25日
巨田神楽は、巨田神社に古くから伝わる神楽で、神楽面や大太鼓などの紀年銘から慶長年間(1600年頃)には舞われていたようです。毎年、秋の例大祭には境内で三十三番が奉納され、哀愁を帯びてはいるが軽快なリズム感のある横笛の音と太鼓の響きに特徴があります。
108.曽我兄弟踊り
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:佐土原町下田島大炊田地区
保持団体:大炊田曽我兄弟踊り保存会
指定:平成7年11月8日
建久4年(1193)、曽我の五郎・十郎の兄弟が父の仇工藤祐経を討った義挙を称えた物語で、約150年前から大炊田地区で踊り継がれています。
五月雨にけぶる富士の裾野の狩屋に、蓑笠姿で忍び込む五郎・十郎兄弟の仇討ちそのままに、女性がりりしい若武者に扮して踊る、芝居と踊りを混合させた民俗芸能です。
109.佐賀利いろは口説踊り
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:佐土原町下田島佐賀利地区
保持団体:佐賀利いろは口説保存会
指定:平成10年2月26日
「東の白隠 西の古月」と謳われた元禄期の名禅僧、古月和尚は、人生訓を「いろは」四十八文字に託されました。これを盆踊りの音頭にし、和尚出身地、佐土原町佐賀利地区に伝承されているのが佐賀利いろは口説踊りです。浴衣姿で、花飾りの付いた編笠をかぶり、竹を打ち鳴らしながら踊ります。
110.田野町雨太鼓
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:田野町一円
保持団体:田野町雨太鼓保存会
指定:昭和49年9月26日
南北朝時代延元元年(1336)から島津氏との伊東氏との対立が始まり戦いに陣太鼓として使用されたのが始まりだといわれています。明治の始め頃から、雨乞いに利用されるようになったと思われます。当時は、干ばつがひどく、人々は「陣太鼓を打ち鳴らして雲に振動を与えれば、雨を呼ぶだろう」と考え、明治の中頃から各地区が大きさを競って太鼓を作ったと伝えられています。
111.鷺瀬地区城攻め踊り
(市指定 無形民俗文化財)
伝承地:田野町上鷺瀬・下鷺瀬地区
保持団体:鷺瀬地区城攻め踊り保存会
指定:平成11年7月9日
慶長五年(1600年)関ヶ原合戦のとき、日向の伊藤祐兵は東軍(徳川方)に加わり、島津豊久、秋月種長、高橋元種らは西郡(石田方)についていました。一方、日向の国でも清武城代稲津掃部助が黒田如水の助言を得て、西軍方の高橋元種の宮崎城を攻撃し、宮崎城守将権藤種盛はその数三千の清武勢によってついに陥落し、続いて穆佐城を攻撃した清武勢とともにこれらの戦いに田野勢も加わり参戦していたということです。この穆佐城攻撃の際に田野の武士たちが百姓姿に変装し、武器を秘めながらおもしろおかしく踊り、敵の油断に乗じて攻め入ったことに由来していると伝えられています。
孟宗竹のひごで作った2mぐらいの棒40~50本に色とりどりの紙の花びらを付けたものを背中に背負い、前後に激しく動きながら踊る姿は勇壮で華やかです。
112.船引臼太鼓踊り
(市指定 無形民俗文化財)
伝承地:清武町船引地区
保持団体:船引臼太鼓保存会
指定:昭和45年7月23日
船引臼太鼓踊りは、神功皇后が三韓に侵攻した時、敵を欺いて陣に入るために、鎧、兜を太鼓の中に張り込み、なぎなたを幟の取柄に仕立て、踊りながら敵陣に進み、一瞬にして敵を撃滅し勝利を得たという言い伝えを表現した芸能です。
古くは江戸時代から、毎年9月に五穀豊穣、家内安全、牛馬息災を願って船引神社に奉納されていました。明治37年(1904)の日露戦争頃から久しく中断していましたが、昭和28年(1953)に復活し、今日まで伝承されています。
113.船引破魔太鼓
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:清武町船引地区
保持団体:船引臼太鼓保存会
指定:昭和61年3月31日
かつては雨乞い太鼓として残っていた芸能が、破魔祭(神社の夏祭り)に合わせて奉納されることから、破魔太鼓と呼ばれるようになりました。鉦・太鼓を打ち鳴らし、雲に振動を与えて雨を降らせようとしたもので、干ばつになると、神社で鉦・太鼓を打ち鳴らしながら雨乞いをしたと伝えられています。
114.中木原破魔太鼓
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:清武町中木原地区
保持団体:中木原地区
指定:昭和61年3月31日
大人の太鼓と子供の太鼓があり、大人の太鼓は大正時代に作られたと伝えられています。戦前は雨乞い太鼓として奉納されていましたが、破魔祭(神社の夏祭り)に合わせて奉納されることから、破魔太鼓と呼ばれるようになりました。
115.黒坂・永田破魔太鼓
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:清武町黒坂・永田地区
保持団体:黒坂・永田地区
指定:昭和61年3月31日
かつては雨乞い太鼓として残っていた芸能が、破魔祭(神社の夏祭り)に合わせて奉納されることから、破魔太鼓と呼ばれるようになりました。現在は、黒坂観音宵祭りなどで披露されています。
116.はまくだり歌
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:清武町木原地区
保持団体:はまくだり歌保存会
指定:昭和61年3月31日
この「はまくだり歌」は、中野神社の御神幸のときに歌唱されるものです。中野神社は、別名中野八幡とも呼ばれ、江戸時代には飫肥藩主の信仰も厚く、社領23石が寄進されていました。
6月15日の例日には、神社から上使橋の川原のお旅所までの間、氏子の地区内を御輿が巡幸する「はまくだり」が行われ、御輿の後方にあって、御神幸を知らせ、奉祝するものとしてこの歌が謡われました。
117.野島神楽
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:大字内海6227番地(野島神社)
保持団体:野島神楽保存会
指定:平成25年10月31日
118.高屋神社神楽
(市指定無形民俗文化財)
伝承地:村角町橘尊1975番地(高屋神社)
保持団体:高屋神社神楽保存会
指定:平成28年3月3日