トップアスリート×スポーツランドみやざき Vol.15

-パラ水泳日本代表エースの全盲スイマー-

vol15木村敬一パラ水泳

宮崎市を合宿などで訪れたトップアスリートに宮崎市スポーツランド推進課職員がインタビューを行う「トップアスリート×スポーツランドみやざき」第15回目。
今回は、2021年12月25日~30日に本市で合宿中の東京2020パラリンピック金メダリストの木村敬一選手にお話を伺いました。(2021年12月27日シーガイアにて)

トップアスリート×スポーツランドみやざき

プロフィール

木村 敬一
Kimura Keiichi

生年月日:1990年9月11日

出身地:滋賀県

所属:東京ガス株式会社

クラス:視覚障害S11(自由形・背泳ぎ・バタフライ)、SB11(平泳ぎ)、SM11(個人メドレー)

東京2020パラリンピック:100mバタフライ(S11)金メダル、100m平泳ぎ(SB11)銀メダル、200m個人メドレー(SM11)5位入賞

 

■「自分自身と戦い抜いた末の金メダル」

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(インタビューの様子 シーガイアにて)

 

―東京パラリンピックでの涙の金メダル感動しました!あらためて大会を振り返っていかがですか?

「いろんな意味で特別な大会だったなと思っています。自分自身が金メダルを目指していたということや自国で開催されたということ、コロナ禍の中で開催されたことなど、いろんな特別な要素が揃いすぎた大会でした。まずその舞台に立てたことが幸せでしたし、その中で自分の目標としていたものに届いたということで、僕にとってこれ以上ない出来だったと思います」

 

―ご自身4度目となるパラリンピックの舞台で、開催国日本のエースとしてのプレッシャーが大きかったと思いますが、当時はどのように感じていましたか?

「周りの皆さんの応援は、プレッシャーというよりは嬉しさの方が大きかったです。
一番しんどかったのは、自分が自分にかけているプレッシャーでした。自分が自分に期待しているので、負けた時に一番悲しくなるのも、勝った時に一番嬉しいのも自分です。僕自身が僕自身にかけていたものと戦っていたと思います。
ただ、それがプレッシャーになっていた一方で、金メダルを取ること、勝つことにとらわれていて、それを達成しないと他のことはしてはいけないとも思っていました。
そういう苦しさはありましたが、そこからモチベーションが落ちることはありませんでしたね」

※パラリンピック出場歴:2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2020年東京

 

―前回のリオ大会後に単身でアメリカへ渡り武者修行をされたときは、所属先や家族からも反対されたそうですが、それでも渡米した理由は何だったのでしょうか。

「リオ大会まで自分の中ですごく頑張ったつもりだったし、これ以上ないくらい努力したつもりだったのですが、それでも金メダルに届きませんでした。
当時はもっと頑張らないといけないと感じていましたが、同じ環境で続けることに自信がありませんでした。環境を変えて新しい気持ちで水泳に向かわないと、このままだと水泳を続けられないと思い渡米を決意しました」

 

■「プレッシャーをかけ続けてくれた富田選手の存在」

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(練習の様子 石崎の杜歓鯨館にて)

 

―木村選手にも挫折はありましたか?また、それをどのように乗り越えられてきたのでしょうか。

「挫折というか、続けていけないなぁ、辞めたいなぁと一番思ったのは、先ほどお話ししたリオ大会で勝てなかったときですね。
こんなに頑張ってダメなんだと思うと、人間は生まれながらに不平等で、勝てる星に生まれる人とそうでない人がいるのかなぁと思いました。
2年間アメリカに行ったのですが、その期間はすごく楽しかったです。
次回のパラリンピックに向かっていく過程を少しでも楽しいと思えた瞬間があったのが良かったです。その後、しんどい期間に突入していきますけど…(笑)
しかしその期間があって、競技と向き合うことをすごく前向きに思えるようになっていたのが大きかったと思います。その時はタイムも速くなっていっていたし、日々、海外で生きていく中で、いろんな発見や成長を感じることもできて、自分を褒められるというか、自分で自分を肯定できるような心も育っていったと思うので、そういうところが這い上がったというか、前向きに取り組めるようになったときだったかなと思います」

 

―東京パラリンピックでは歴史的なワンツーフィニッシュを果たした100mバタフライですが、同じ日本代表の富田選手の存在はどうでしたか?

「日々、緊張感のあるレースを国内で続けることができたという意味で、(富田)宇宙さんは僕が高いパフォーマンスを保ち続ける上で、プレッシャーをかけ続けてくれた存在だと思います。東京パラリンピックの決勝ではものすごい重圧の中でレースをしないといけなかったのですが、日頃から一瞬たりとも負けてはいけないと思って泳いできたこともあって、想定できる範囲内の重圧でした。彼がずっと戦い続けてくれたのは、僕が金メダルを取るのにすごく大事なことだったと思います」

※東京パラリンピック100mバタフライ(S11)で、木村選手が金メダル、富田選手が銀メダルを獲得

 

―東京パラリンピック後のインタビューでは、次のパリ大会についてはまだ白紙で、金メダルを取ること以上の目標ができればとお話しされていましたが、現在の心境はいかがですか?

「現在はあまり変わっていません。チャンスがあればパリ大会も頑張れればいいなと思っています。毎日のいろんなものを積み重ねた先にあればそれでよいのかなと」

 

■「宮崎は食事が美味しい」

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(特産品贈呈時の集合写真 石崎の杜歓鯨館にて)

 

―これまでに宮崎を訪れたことがありますか?

「今回が初めてです」

 

―宮崎の印象はどうですか?

「食事が美味しくて、施設の皆さんも優しく接してくれます。誰もが時間にゆとりををもって生活しているんだなと感じました。生活する場所としても合宿する場所としても快適なんだろうなと感じました」

 

―宮崎で気に入ったものはありますか?

「昨日いただいた宮崎牛は本当に美味しかったです。季節がどうかわからないけど、マンゴーは食べてみたいです!」

 

■「小さな目標の達成を積み重ねた先に大きなものがある」

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(日本パラ水泳連盟から歓鯨館へのお礼と色紙贈呈の様子 石崎の杜歓鯨館にて)

 

―本日の公開練習では多くの方が見学に来られました。金メダリストの木村選手など日本代表の練習を間近で見ることができる貴重な時間になったかと思います。木村選手は、特にどのような方に練習している姿を見てほしいですか?

「選手にとって練習しているところは一番カッコ悪いところなので、あんまり見てほしくはないですけど…(笑)
同じように障がいを持っている皆さんにも何か伝えられるものがあるでしょうし、一方で、障がいのない方にもスポーツを通じて伝えられるものもあると思いますので、誰にということではなく、全ての人に選手の存在を知ってもらえればと思います」

※2021年12月27日 石崎の杜歓鯨館にて公開練習を実施

 

―宮崎で競技を頑張っている未来のメダリストに向けて、木村選手がトップアスリートとして世界で渡り合える力を培った考え方や独自の練習法などがあれば教えてください。

「何事も一足飛びにはいかないと思います。小さな目標でもいいと思いますので、色々なものをコツコツ積み重ねて毎日達成し続けていく、その先に大きなものがあればいいのかなと思います。まずは、毎日地道に重ねていくことです。水泳のタイムでいうと、パラリンピックに出場するためのタイムがありますけど、いきなりそういうものを目指すよりは、まずは今日よりも明日のほうが速く泳ぐ、明日より明後日の方が速く泳げるというように、地道な練習をやっていくといいと思います」

 

―今回、初めて宮崎にお越しいただきましたが、今後、宮崎への期待みたいなものはありますか。

「今回、僕たちが合宿に来させていただいて、少しでもパラ水泳に関心を持っていただける方が増え、そこからさらに広がっていって『パラ水泳の合宿地と言えば宮崎!!』となっていくといいなと思います。
選手たちも宮崎に来ることを楽しみにすると思いますし、より地域の人たちとの距離も縮まっていくのではないかと期待しています」

 

―最後に、宮崎の皆様へメッセージをお願いします。

※以下の動画でメッセージをご覧ください。

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